花と緑にさそわれて♪

宿根草・多年草・花木の里山ガーデンです。理想は手のかからない自立した庭。ベランダのお花も見てくださいね。    

ブログで癌の恐怖がなくなった

昨日までの疲れのためか、今日はウトウト居眠ばかり。
ちょっとベランダに出て、クリスマスローズの花柄を摘みました。

多くの方のブログで見た写真を真似てやってみました。

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この1〜2年、ガーデニングのブログ拝見し、色々な事を学びました。
おかげで里山の庭も、庭らしく変化しています。


ブログ・ホームページを定期的に見るようになったのは、2006年からです。
2006年は、癌がわかった年です。

家庭の医学的な本や、インターネットで病気についての知識を得た他、
同病の方々の日記(ブログ等)から、いろいろな情報を得ました。

夫は、「そんな役にたたないもの・・」と言っていましたが、
私には、その体験談がとても貴重な情報でした。

自分が受ける手術についてインターネットから情報を集め、
手術に対する恐怖が増したところもありますが、
ブロガーさんたちの実体験は、とても興味深いものでした。

患者の会とか病棟の同窓会(これもブログから得た情報ですが)など
所属していなかった私にとって、ブロガーさんがともに病気と闘う友人でした。

そして、病気について概ねわかったとき、
何だかとても落ち着いた事を覚えています。

1番の恐怖は、「わからないこと」だったのです。
「わからない」は不安を増強します。
わからない事が、かなり少なくなった時、
恐怖は落ち着きに変わりました。

そして病気と戦う同病の人々を見て(読んで)、
凛と病気に向かえば、それでいいのだと納得したのです。

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この時の体験から、私にとってブログは、
価値あるものなのです。

自分のブログはどうかなと思うと、
はなはだ自信がありません・・・

2007年、癌が再発転移してからは、
「ブログを見過ぎて、生と死の境がなくなった」と感じる経験をしました。
コレについてはまた後で。



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命の限りを覚悟して③惑う心

 今日は茶の湯のお稽古でした。
10数年続けていますが、入院、治療のために
何度も長期欠席をしながら続けて来たお稽古です。





1回目の転移で、命の限りを覚悟した私でしたが、
生き仏のように心静かにずっと過ごしていた訳ではありませんでした。

転移がわかってから1〜2週間は、
すでに決まっていた仕事をこなしました。

当時は、地方の仕事が多く入っていて、
飛行機での移動が多かったのですが、
機内から見る外の景色の美しかったこと。
今でも目に浮かびます。

地図そのままの形の大地は、心躍るものでした。
それまで何回も搭乗していましたが、
初めて見るような景色に目をはずすことなく、
ずっと眺めていたものです。
そして、目にはいつも涙があふれていました。


ある日、
バスに乗っていると、白髪の高齢の女性たちが乗って来ました。

誰でもおばあさんになれるものではないのだなあ・・と、
つくづく思いました。



テレビなどの報道を見ると、癌早期発見のために検診を勧めています。
自分は早めに癌を発見することができなかった。
後悔の念にかられました。



周りからは、励まされますが、励ませれるほどに、
治らなければならない・・でもできないと・・・苦しくなります。

でも、どんなに頭で厳しい状況と理解していても、
心の底では「私は大丈夫」と思っている自分もいました。

最も絶望の縁に立たされたのは、
老親より先に旅立ってしまうことを考えた時でした。
まじめに誠実に生きて来た両親の晩年に
子どもの死という最もつらい思いをさせてしまう残酷さ。


しかしある時、何かの話の中で、母が言いました。

「それは寿命なのよ。寿命なんだから」

この言葉を聞いた時、この母なら、両親なら
最悪の時がおとずれても、
きっと乗り越えてくれるだろう・・
そう思ったのです。
気持ちが、少し楽になったことを覚えています。


そして、死の恐怖・・・
でもこれは、同病の方々のホームページやブログを
拝見するうちに、克服してゆきました。
生と死の境がなくなったというか・・。

これについては、またいつか機会があれば・・。

2007年2008年頃の心境をここに書きとめました。
1回目のこの転移では、大方の予想に反し危機を脱することができました。
しかしこの後、2011年に肺に転移は見つかりました。
この頃のことは不思議とほとんど覚えていません。
何も考えていなかった?





あんみつ姫の幼稚園バッグ作り。
今日は、茶の湯のお稽古に疲れ果て、
全く進んでいません。
おまけに、夕飯作りもありましたし。

昨日仕上げた裏面の写真です。

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かわいいね。

(関連日記)
命の限りを覚悟して②生き仏になった私
命の限りを覚悟して①選択した治療法は・・

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命の限りを覚悟して②生き仏になった私

 月曜日。今週も
バレエのレッスンへ行ってきました。
片道15分。往復の散歩も楽しみです。
自由に歩けるって幸せなことですね。

ブラブラ歩ける幸せ、
お腹がすく幸せ、
1回目の転移の抗ガン剤治療中に知りました。

* * *

転移がわかり、
治療方針が決まり、順調に放射線治療(約1ヶ月)が始まり、
抗ガン剤治療(全4回4ヶ月間)も始まりました。

仕事はとりあえず休職。
治療がない日は自宅でゆっくりできました。

この時にしたことは、片付け。
今すぐにどうこうではありませんが、
その日に備え、家族が片付けにくいものから始めました。

たとえば人形。
これは姑の遺品整理のときに困った経験から。
売れるものは売ることにしました。
本。
一応学術書的なものは、一冊一冊アマゾンから出品。
一般書はブックオフで。

とにかく売れるものは売って、かなり物が減りました。

部屋も変化しましたが、最も変わったのは自分の内面でした。

一言でいうと、欲がなくなった。
無欲とはこういうことかと思いました。

不思議な感覚です。
何も欲しくないのです。

当たり前と言えば当たり前。
命がなければ、物は必用ありません。
お金もいらないのです。

以前は老後の心配などもありましたが、
心配の必用がありません。


それから、
すべてのことを許容できる状態。
誰に対しても不満なんて何もない。
そのままでいい。

仏様みたいな、
まさに生き仏の私。

大抵の悩みはどうでも良くなります。
だって、悩みも命あってのことですから。


同時に、あっても良さそうな欲もなくなります。
例えば、向上心。

あれこれも勉強したい。こうもなりたい。
もっと努力しよう・・・
・・なんてこともなくなります。

ありのままの今の自分で十分なのですから。

変な感覚でした。
しかし自由な感覚でした。
一種解き放たれたような・・


この頃のこの経験は、
真に貴重な体験だったと思います。


治療が順調に終了し、月日が経って、
再発転移の恐怖が薄らいだ頃、
私は、新しい着物が欲しい・・とか、
素敵なバッグ欲しい・・とか、
思うようになりました。

もう死ぬとは思っていないんだ・・私、
ということがわかりました。


* * *


アップリケと刺繍が終わりました。

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後は、手提げに仕立てます。
これが苦手で・・

(関連日記)
命の限りを覚悟して①選択した治療法は・・

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命の限りを覚悟して①選択した治療法は・・

腫瘍マーカーで癌はわからない
 今日は、幼稚園バックの製作で1日が終わりました。
シューズバッグは、ベビー教室で使うというので
1〜2年前に作ったのですが、
その後、ほったらかし。

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急がないと入園式になってしまいます。

幼稚園バッグの製作は、2個目。
ダイゴロウ、あんみつ姫、次はおマメちゃんの分も。
なんと幸せなことでしょう。



2007年夏、1回目のがん転移が判明したときです。

当時、がん転移なんてあるわけないと信じて、
仕事に一生懸命だった私は、その日の前日は札幌にいました。

帰りの便に間に合うギリギリまで、仕事場にいた私は、
千歳空港へ急ぎました。

かなり走ったと思います。
とても苦しかったので、今でもその時を覚えています。

そして、翌日が定期検診の日。
さらにCT検査の結果を伺う日でした。

主治医は、コンピューターの画像を食い入るように見ていました。
そして私にも、素人の私の目にも、
その白い不自然な塊が見えました。
2〜3cmくらいだということでした。

その日、主治医と話したことは、
放射線治療をすること・・つまり緩和医療です。
傷みの軽減を目的にするということでした。

手術信仰をもっている夫は、納得がいかず、
セカンドオピニオンを受けることにしました。
この時、あの塊はさらに大きくなっていて
4〜5cmになっていました。

私は、この腫瘍の治療後の、
免疫療法についてこの医師に質問したのですが、
医師からの返答は、

「あなたは、そんな先のことは考えなくていいのです」
というものでした。


放射線科ですぐに治療の準備が始まりました。
その放射線科の医師が、

「この癌は、放射線と抗ガン剤”◯◯○”を併用すると、
相乗効果があるとの論文がありますよ」。

そして主治医に提案がなされました。

実は私も、インターネットで情報を集めていましたから、
そのようなアメリカの論文があることを知っていました。

また、自宅にある本から、腫瘍の大きさが2cm以上の場合、
放射線だけで癌が消えた患者さんは、0人というデータも見ていました。

放射線治療で治ることはない・・ということです。

主治医に聞きました。

「絶対治らないという訳ではないですよね」

すると、

「そう言ってあげたいけれど」。

こういうはっきりしたしところを、私は気にいっていました。

さて、私は、どんな治療でゆくのか。

放射線は決まり。
傷みがどんどん強くなって来ていましたから
傷みをなくす放射線治療はすぐにでも受けたい治療でした。


抗がん剤は?
効果が見られるといっても限定的ではないのか。
別情報では、効奏率(何らかの効き目があった割合)は30%.

完治までは難しいだろうと思う。
それに副作用がかなりきつそう。
治らないのに、そんなきびしい治療を受ける?
とても迷いました。

迷った末の、私の結論は、
放射線と抗がん剤の併用です。
抗ガン剤治療のきつい副作用も覚悟しました。


なぜなら、
この時、最期まで病気と戦った姿を
子どもたちに見せようと思ったからです。

娘はすでに伴侶を見つけていました。
力を合わせやって行ってくれると信じられます。

でも息子はまだ大学生。
これから世の中の荒波に立ち向うことになります。

生きるための壮絶な戦いを見せて
死んで行こうと思ったのです。



この治療のあと、私は一旦寛解になります。
生き延びました。
しかも副作用は、それほどでもなく、
髪の毛もほとんど抜けません。
娘の結婚式では
地毛でセットして、留袖を着ました。

あの時、抗ガン剤治療も受ける選択をして正解でした。
・・というか、
母親の気持ちで選択をして正解でした。


幼稚園バッグは、今日1日でけっこう進みましたよ。

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(関連日記)
腫瘍マーカーで癌はわからない

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入院中の大切な思い出

 今日は昨日までと打って変わっていいお天気です。
やはり里山の庭へ行っておけば・・・

でも
今日中に帰ってこなければいけなかったし・・・
なぜなら、
月曜日はバレエ(ストレッチ)の教室があるから。


10年後20年後を見据えて
健康作りにいそしむ私です。



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寒さのなか、ベランダのガーデンシクラメンは元気です。



10年前は・・・

癌が発覚して、最初の入院生活を経験していた頃でした。


すでに就職していた娘や、入社1年目の息子にとっても
母親の入院という未経験な事態に戸惑っていたと思います。

手術の日は、夫と子どもたち2人が待機していました。
私はずっと眠っていた訳ですから、何も分りませんが、
手術室の外で、8時間ずっと待ったそうです。
(夫は、途中どこかに行っていたようですが・・)

「後から手術室に入って来た人が、
先にどんどん帰って行った」

そう言っていました。

無事に手術が終わり、
目が覚めた時に、子たちの手を握った記憶があります。

入院期間は、当初の予定通り3週間。
都内に就職していた娘は、ほぼ毎日病院に立ち寄り、
私の洗濯物を持って帰っては届けるの繰り返しでした。

大変に疲れたと思います。



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就職したての息子は、当時関西勤務のため、
病院には週末にしか、来ることができません。
しかも交通費がかかります。

ほぼ毎週東京の病院に通えたのは、
影で夫がお金を渡していたからでしょう。

週末は、姉弟が揃います。

ベッドに横たわった・・というか大の字の私の
右足を娘が、左足を息子がマッサージします。

昔から足の裏をよく踏ませていた私ですから、
子どもたちが、思いついたのです。

「まるで横暴な女王様みたいだね」と、息子。

みんなで大笑いしました。


術後2日目から、病室を出て廊下を散歩しなけれぼいけません。
娘や息子がよく付き添って、一緒に歩いてくれました。

たくさん歩いた方が、腸のためにも、血液循環のためにもいいのです。
傷口も痛む中、一生懸命歩きました。

「息子さんが付き添ってくれるなんて、
あまり見ませんよ」

看護師さんは、そうおっしゃっていました。



癌がわかったとき、子どもたちはすでに成人していましたから、
自分のことだけ考えれば良いと思った私でしたが、

こんな子どもたちの姿に触れて、
絶対に期待に応えたい、

必ず良くなって、
子どもたちの喜ぶ顔が見たい、

そう思いました。



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その後、
癌は2度転移して、
全入院期間が5~6週間になりますが、
洗濯物はすべて、クリーニングサービスを利用し、
子どもたちも手術の間は、ソファで寝ていたそうです。

(関連日記)
腫瘍マーカーで癌は分らない

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